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グローバルのヒント

グローバル・コネクター

2025年6月27日

第81回「自分を信じる」志村真里亜さん

さまざまな分野で活躍する方にお話を伺うインタビュー「グローバル・コネクター®」。今回のゲストは外資系メーカーの外国人社長秘書や通訳などを務め、現在はビジネス英語を使ったキャリアサポートや海外とのビジネス展開支援などを手掛ける通訳者の志村真里亜さんです。

志村さんProf2.png

木暮 お生まれはブラジルだそうですね。

 

志村 獣医だった父が牛の人工授精を研究するため留学していた関係で、3歳半までサンパウロ州で育ったんです。現地は人間より牛の数の方が多いような土地だったそうです。当時の記憶は無いのですが、今でも「おふくろの味」といえばブラジル料理。研究を終えて帰国して住んだのは自動車産業が盛んな愛知県の岡崎市で、トヨタ自動車などの関連工場で働くブラジル出身の方も多く暮らしていました。食材は調達しやすかったので肉料理「シュラスコ」とかチーズ味のパン「ポンデケージョ」などが食卓に並ぶことがよくありました。

 

木暮 それからは日本でお育ちになっている。日本でのカルチャーショックのようなものとは無縁だったわけですね。

 

志村 そうでもないんです。今もライフワークにしている「ハグ」にまつわる幼少期の出来事が忘れられません。幼稚園の送迎バスが来ると、乗り込む前に父親が自宅の前で毎回抱きしめてくれるのが我が家の習慣でした。ただ、ハグにあまり馴染みがない園児からはその様子をからかわれることがありました。みんなに笑われるのが恥ずかしくて、家の外でハグをするのは控えるようになりました。

 

木暮 今では日本でも親子のハグはよく見かけるようになりましたが、当時はまだ珍しかったのですね。その後の海外との関わりはいつごろですか。

 

志村 祖母に同行して海外旅行するうちに、英語という外国語やブラジルで生まれた自分のルーツに関心が湧くようになりました。英語が話せるようになって日本を出られたら、自分の居場所が見つかるかもしれないと期待する部分があり、大学3年生の時にカナダ・バンクーバーへ留学しました。自分なりに準備して臨んだつもりだったのですが、到着早々にホームステイ先でのコミュニーションが上手くいかず、初日から打ちのめされました。心細さと自分の無力さに落ち込んでしまって、泣きながら日本に電話する日々がしばらく続きました。ブラジルで研究生活を送った父は当初、慰めてくれていたのですが、連日のように国際電話で愚痴をこぼす娘の状況を変えようと思ったのでしょう。ある日、「そんな甘い気持ちで行ったのなら、もう帰ってこい」と厳しい口調で怒りました。その言葉で生来の負けず嫌いの性格に火がついてしまい、気が付いたらこちらも「英語をネイティブレベルで使えるようになるまで帰らない」と応酬していました。いま思うと、売り言葉に買い言葉だったのですが、父に一喝されたことで覚悟ができました。その後は留学生仲間と部屋を借りて共同生活を始め、完璧な英語を話さなくても会話が通じることが分かって気持ちが楽になりました。留学前に抱えていたアイデンティティの問題も、英語を話しているときが、ありのままの自分を表現できる、という感覚と自信が持てるようになりました。

 

木暮 率直に話したいときに日本語で的確に表現できる言葉が見つからず、英語の方が楽だと思うことは僕にもありますね。帰国後は、三菱重工業が進めていた国産ジェット機「三菱リージョナルジェット(MRJ)」の開発プロジェクトに参加されました。初の国産ジェット機開発に注目が集まっていましたが、実際にプロジェクトに入られて、どうでしたか。

 

志村 飛行機に興味がありましたので、専門的なことは勉強をしながら技術通訳として参画させていただきました。当時は就航に必要な当局の「型式証明」取得のための試験飛行時間を国内だけで確保するめどが立たず、米国の空港も使って時間を捻出する方針が取られていました。通訳として入ったのは、そうした国外での試験実施を見据え、日本に集められた米国人整備士に「三菱教育」を行うプロジェクトでした。具体的には日本人講師の説明を訳し、日米の整備士をつなぐ役割です。講義の内容は集合時の時間厳守といった基本的なことから、はんだの使い方といった実技まで多岐に渡るのですが、米国側からは「日本式のチェック項目の多さにはついていけない」とか「工具の置き方にこれほど時間と労力をかける意味が分からない」といった不満が出ました。

 

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MRJ開発プロジェクト時代の志村さん=本人提供

 

木暮 相手が納得していないときには通訳として、どう対応するんですか。

 

志村 講師の指示を言葉通りに英訳しても、米国人整備士には理解されにくいと思ったので、日本で重視される「整理整頓」の意味のほか、工具の配置も安全を最優先するために必要な措置であることなど、指示の意図と背景を伝えるようにしたんです。最初はイライラしていた米国の方たちも日本流の細かい指示をだんだん面白がってくれるようになってきて。

 

木暮 相手に面白いと思わせれば、しめたものですね。状況をできるだけ楽しまないとストレスになるだけ。次第に疲弊してしまいます。高度なスキルが要求される通訳のお仕事とはいえ、こうした相互理解の前提となるような根本のところに踏み込むには、お互いの文化や考え方の違いを知っていないと言えない。素晴らしい対応ですね。

 

志村 ありがとうございます。開発プロジェクトは残念ながら納期遅れが度重なり、商業化されることはかないませんでしたが、個人的にはすごく勉強になった仕事でした。

 

木暮、その後、日本の大手自動車会社で役員秘書に転身されます。

 

志村 秘書をしたことは全く無かったのですが、これまでの海外経験を買われ、フランス人副社長を担当させていただくことになりました。幸運だったのは、カリスマ経営者として辣腕(らつわん)を振るっていたカルロス・ゴーン氏の秘書をされていた方がメンター(指導役)についてくださったこと。秘書としての心構えなどをゼロから教わりました。

 

木暮 どんなことですか。

 

志村 その方からは「先読み力」を鍛えるように言われ、いろいろな現場をそばで見させてもらいました。特にノンバーバル(非言語)の情報を読む重要性を指摘されました。例えば、本人の目つきからその日の機嫌や必要なアイテムを判断するとか、顔の表情、動くタイミングといった微妙な変化です。また、役員会議に関しても参加予定者の特性から議論の方向性を予想したり、事前にリスクヘッジしたりするといったことを学びました。

 

木暮 いいですね。先読み力はプロジェクト・マネジメントという、僕たちの仕事にも通じるところがあります。会社のメンバーにもよく言うんです。プロジェクト管理では、先を予想して対策を立てておくとか、不測の事態が起きて慌てないように先手を打っておくとか、そうした準備が大事。危機を察知するアンテナ、感性を研ぎすます、ということですね。

 

志村 はい。キャリアの転換点となる重要な職場でした。メンターをしてくださった方は、今でも目標とする女性であり恩人です。

 

60通のメールの果てに

 

木暮 全世界で開催される講演会「TEDx」に日本から登壇されています。心のこもったハグが人々の命を救うという内容は心に訴えるものがありました。講演するきっかけは何だったのですか。

 

志村 とある知り合いの方から「真里亜さんは英語ができるのにTED(テッド)には出ないの?」と聞かれたんです。TEDはご存じの通り、各界で活躍する著名人らがプレゼンターとして登場し、素晴らしいアイデアや世界に伝えたいメッセージを聴衆に訴える講演会です。無名である日本人が簡単に出演できるようなものではありません。でもその方は「大丈夫、絶対に出られるよ」と勧めてくださる。半信半疑だったのですが、その励ましの言葉を信じて挑戦してみようという気になりました。まずは3年で実現する目標を立て、TED主催者や関係者に毎日、片っ端からコンタクトしてみました。世界中で開催されていることを念頭に「どこにでも行きます」とアピールしましたが、現地在住者しか登壇できないというルールがあることも初めて知りました。返信はほとんど無い中で、60通目のメールに「面白そうな内容なので1度話したい」と返事がありました。それは拠点のある淡路島での開催を企画していた日本企業の主催者からでした。開催テーマの「生きがい」がプレゼン内容と親和性があるということで、講演の機会をいただくことになりました。 

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木暮 TEDはよく見ます。歴代の登壇者と同様に堂々とプレゼンされていて素敵でした。 

 

志村 ありがとうございます。人前で話すのは苦手だったのですが、何度も練習を重ねて臨むことができました。何かにチャレンジする事は大切だとあらためて思います。その後も、講演をご覧になった親日家の方から英国のトークイベントで講話をしてほしいと呼んでいただいたりして、ありがたいご縁が広がっています。 

 

木暮 外国に興味があっても言葉の壁などが気になって、なかなか挑戦できない人もいます。 

 

志村 そうですよね。私もこれまで踏み切れなかった経験が何度もありました。ただ、自分が想定していたハードルは、1歩を踏み出してみると意外と低い、ということも挑戦して初めて分かりました。その次のステップはもっと軽く感じるんです。あと1歩を踏み出そうとしている方の多くは、すでに日本でいろんなご経験を積まれて活躍されている。ただ、英語が話せないから海外展開を諦めるなんて。ご自身の可能性を日本だけにとどめておくのは、もったいないです。 

 

木暮 同感です。現在も心のこもったハグの普及をご自身の「ライフミッション(人生の使命)」に掲げられるなど精力的ですね。今後はどのような活動をされたいですか。 

 

志村 通訳にもビジネス英語のコーチングにも可能性を感じます。また、日本人の海外プロデュースにも興味があるんです。海外に行くときは着物を持参するのですが、和装でいると自然と人が集まって、みなさんが話しかけてくれるんです。以前に外国のコールセンターで働いた際、どんな時もオペレーターに対して丁寧で礼儀正しい日本人の良さを再認識しました。海外に出たからこそ、日本人独特の精神性が唯一無二の強みになることも確信しました。こうした日本人が海外で本来のポテンシャルを最大限発揮できるよう、外国人の心に刺さるように日本や日本文化をプロデュースできると嬉しいですね。(おわり) 

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志村真里亜さんについては当社のFacebookでもご紹介しております。ぜひご覧ください。