グローバルのヒント
グローバル・コネクター
第84回「目の前の人を幸せに」鈴木亮子さん
さまざまな分野で活躍する方にお話を伺うインタビュー「グローバル・コネクター®」。今回のゲストは、外資系生命保険会社で管理職として活躍する鈴木亮子さんです。
木暮 ご家族の関係で海外と日本を行き来されて過ごしたそうですね。
鈴木 2歳のときに、銀行員だった父が米国に留学する際に、一家で同行したのが始まりです。母によると、幼心にカルチャーショックだったのか、米国の幼稚園で周りの園児から「ハグ攻め」されたのが恐怖だったらしく、泣き叫んで周囲を困らせたそうです。いったん帰国した後、海外赴任することになった父と家族で香港に住んだほか、14歳から17歳までは米国で暮らしました。日本の中学から編入した米東部メリーランド州の公立学校では、入学初日の帰宅後、母に「学校どうだった」と聞かれ、「びっくりした。一言も分からなかった」と大笑いして答えたことを思い出します。
木暮 見ず知らずの土地で孤独を感じたり、心細くなったりしなかったのですか。
鈴木 クラスには親切な子もいて、いろいろと学校を案内してくれました。特に深く考えることもなく「きょう大丈夫だったから明日も平気だろう」と思って毎日過ごしました。
木暮 衝撃的な体験だったはずなのに、ご本人が前向きで素晴らしいですね。その後、米国内での転校も経験されたと伺いました。
鈴木 帰国後の大学進学を見据え、飛び級制度のある州内の私立校に渡米1年弱で移りました。運よく入学試験にも合格して転校した先は女子校。制服がありましたが、金曜はカジュアルフライデー。学年が上がるごとに自由度が増して、たとえば11年生(日本の高校2年生に相当)はスカートは制服だけれどもトップスは自由。最高学年の12年生になると全て生徒に判断が委ねられる。単位制のカリキュラムを採用していたので、履修科目の選び方はもちろん、授業のない時間枠をお昼の時間帯に集中させてランチを2回食べたりすることもでき、米国式の「自由と責任」を学びました。バイオリンが演奏できるオーケストラに入ったのも貴重な経験です。英語が母国語ではない人も受け入れる公立校とは異なり、私立校では英語が母国語レベルで使える前提で授業などが行われます。周囲は英語を満足に話せない私のような生徒に慣れておらず、クラスメイトとの会話や勉強のペースについていくのに本当に必死でした。音楽に触れる時間が「息抜き」となり、友人も増えました。
木暮 日本の「部活動」との違いはありましたか。
鈴木 日本の中学でも管弦楽部に所属していましたが、各パートに分かれてすごく練習をしていた記憶があります。先輩や上手に弾ける子が指導をしてくれる。それを手本にみんなで真面目に取り組み、間違えると何回も繰り返し練習する。一方、米国では個人練習は休み時間や自宅でそれぞれ真剣にやり、パート練習はほぼ無しのまま全体で合わせる。みんなで必死に練習したという記憶はないかもしれません。
木暮 僕も似たような経験があります。留学したハイスクールの野球部では練習試合が中心。日本で馴染みのあったポジション別のノックやバント練習といった反復練習はほとんどなかったんです。悲壮感も皆無でした。
鈴木 日本にいたときはそれぞれのチームが自分たちのパートを技術的に高めて、練習したものを持ち寄って作る感じ。一体感は非常にあるのですが、スポーツに近い感じがします。米国では、みんなで集まる時間は、どういう音楽にするか全員でイメージを膨らませるための時間で、どんなメッセージを伝えたいか、を話し合いました。バイオリン以外にピアノも習っていて、それなりに弾ける自信があったのですが、米国で初めて腕前を披露した先生にはいきなり「音階を弾くところからやり直そう」と言われました。先生の手にかかると、ただの音階が空を流れる雲のように感じられたり、大切な人を失った悲しい歌になったりして、そこから音楽の楽しさに目覚めました。
メッセージを伝える
木暮 帰国後は日本の大学を卒業。大手金融機関を経て今の外資系企業に。
鈴木 所属しているのは米国の持株会社であるアフラック・インコーポレーテッドのグループ会社に当たるアフラック・インターナショナル・インコーポレーテッドの日本支店で、米国の持株会社と日本事業を担うアフラックの日本法人を中心にグループ会社間をつなぐ役目をしています。アフラックは米南部ジョージア州で創業し、進出先の日本で徹底したローカライゼーション(現地化)を行い、シェアを拡大して今に至ります。グループ資産の7割以上は日本市場によるものです。日本での業績がグループ全体に大きく影響するため、日本法人の経営戦略や事業の進め方はとても重要視されています。
木暮 日本市場の占める割合がそれほど大きいとは意外です。
鈴木 そうですね。アフラックにとって日本と米国が2大市場です。入社して驚いたのですが、外資系でありながら日本法人は従業員の9割以上が日本人。一方でグループ持株会社は米国人を中心に運営していますから、日米間のコミュニケーションが難しい場面もあります。それを円滑につなぐために両社の橋渡しを担っています。イメージとしては、伴走しながら事業が進むのをサポートする感じ。支援が必要な場面ではわれわれが積極的に関与しますが、順調な時は見守る。木暮さんの会社と似ているのかな。
木暮 僕たちの仕事もまさにそうですね。ITに特化している部分以外は、ほぼ同じです。「ゴールに向かってください」と言いながら一緒に走るイメージです。
鈴木 今のような仕事を本格的に始めたのは、持株会社の取締役会を5年ぶりに日本で開催することになったタイミングです。取締役会の事務局支援に加えて、それ以外のアクティビティについて、企画と運営を任されたんです。たとえば観光の部分を旅行代理店に「丸投げ」するのは簡単ですが、それでは意味がない。コロナ禍で中断を余儀なくされた日本開催がようやく実現できる。なかには初めて来日する取締役もいる。せっかく日本に集まる機会に、アクティビティを通じてメッセージを送りたい。グループ全体の将来を考えた時に、彼らにどういう時間を過ごして何を持ち帰ってもらうのが良いか。また、日本法人の経営陣にとっても、グループ持株会社の取締役と直接対面できるのは絶好の機会です。そこに集まった全員にとって、どんなプログラムが良いかをメンバーで知恵を絞るわけです。組織のトップが伝えたいメッセージが、下まで降りてくるうちに部分的に抜け落ちたりすることがあります。そうならないように、立場の違いにかかわらず、トップのメッセージや目指すべきゴールを関係者全員に理解してもらう。この仕事を任された時に「メッセージを共有する」というのは、すごく大事だなと思いました。
木暮 転機になった仕事があったそうですね。
鈴木 若手だった頃、米国からVIPご夫妻が来日され、ご主人がビジネスの会合に出られる間、ご夫人の接待を任されたことがありました。ご夫人について参考になる情報は写真つきの略歴のみ。華々しい経歴と高級スーツをまとった写真の印象は「要求水準の高い気難しそうな人」でした。担当を任された同僚と2人で、東京中をあちこち下見に行きましたが、なかなかお気に召していただけそうなプランが決まりません。接待役として、私たちでは不相応だとも思い始め、「プロの通訳ガイドにお願いするか、VIPの方ですから社長の奥さまにご接待いただくのが先方もお喜びになるのでは」と当時の社長に直談判しました。すると社長は「君たちでおもてなしをしなさい」と言います。会社にとって大切なお客さまを社員がもてなすことに意義がある、というメッセージでした。もう一度、知恵を絞ってプランを練り直してお迎えすることにしました。実際にお会いすると、勝手に想像していたイメージとは違って、とても好奇心旺盛で気さくな温かい方でした。日米の文化の違いなどはもちろん、日本の若い女性が社会や人生をどう考えているのか、といった私たちの話も興味を持って聞いてくださり、ご自身の経験談やアドバイスをお話ししてくださいました。実際に対面して、温かい交流ができたこと、お互いに良い時間を共有できたことに喜びを覚えました。限られた時間をどう使うのが相手にとってベストなのかを一生懸命に考える。一緒にいる間、相手の様子を見て必要な気遣いをしながら自分も楽しむ。これはすごく良い経験でした。
木暮 橋渡しをされていて、日米の特徴は感じますか。
鈴木 どちらが良い、ということではないのですが、プレゼンテーションで発表するときに、日本人は文字がたくさん入った情報を出そうとする傾向があります。それは、見方によっては「相手に判断させよう」という姿勢にも取られかねない。でも、組織上のポジションが上に行けば行くほど、たくさんの決断を下さなければならない。忙しい彼らにとっては、視覚的に瞬時に理解できるプレゼンの方がありがたいのではないでしょうか。情報を整理した上で、判断してもらいたいポイントに絞って伝える。個人的な印象で言えば、経営者に響くプレゼンは、とてもシンプルなものが多い。情報や考えが整理された内容の方が相手に届きやすい。結論から伝える、というのも米国の特徴です。日本側が作ったプレゼン資料に関して「これでは米国の経営層に伝わらないかも」と助言すると、「いや、これは(日本側の)担当役員が確認した内容だから簡単には変えられません」と相手も返してくる。そこを調整するのが難しい。見せ方やメッセージといった、言語ではない部分も含まれていますから。その「通訳」が両者の間でうまくできて良い資料ができあがり、コミュニケーションがスムーズにいくと、達成感が味わえて嬉しいですね。
木暮 確かに、考えを整理しないまま伝えるのは「判断を放棄する」ことに近い。自分で考えることが大事です。僕も会社でメンバーが「どうしましょうか」と聞いてくると「どうしたらいいと思う?」と聞き返すようにしています。
鈴木 相手に「自分で考えてね」とお願いするときでも、否定されるのが怖かったり、考えたことが実現できなかったらどうしよう、と思って言えない人もいると思いますから、そこは考えた結果を伝えやすい環境を作るように気をつけています。日米で共通していると思うこととして、上のポジションに行けば行くほど好奇心が強い人が多いと感じます。それから、人を大切にする。目の前にいる人が新人や若手でも、パーツとしてではなく、ひとりの人間として興味を持って接してくれる。自分もそうでありたいです。
木暮 やりがいのある仕事ですね。今後の目標はありますか。
鈴木 大げさに聞こえるかもしれませんが、私のゴールは「世界平和に貢献すること」なんです。物心がついたときから「人間だけでなく、ありとあらゆる生きものがそれぞれ緩やかにつながりながら、幸せに生きている」という理想のイメージを持っています。今の仕事で言えば、米国の取締役や経営陣が日本に来て、ビジネスの目的を果たしつつ日本をさらに好きになってくれる。また、自分のチームのメンバーひとりひとりが今よりもっと幸せになる。そういったことが、世界が幸せに満たされることや平和につながると思っています。仕事の時間は、それぞれが幸せな人生を送るためのパーツの1つです。同じ時間を長く一緒に過ごして仕事をするなら、相手には、より深い楽しみを感じてもらいたい。日米の違いはあっても、人間同士ですから、同じだと感じます。同じであることを喜び、違うことも楽しめるといい。みんながそうなったら平和になりますよね。(おわり)
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