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グローバルのヒント

グローバル・コネクター

2020年3月26日

第3回「失敗はだれでもある、やり直せる」平野昌義さん

今回のゲストは日本と中国で貿易商社を経営する平野昌義さんです。

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木暮 台湾で生まれて日本で育ち、米国に留学もされていらっしゃいますね。上海で会社を立ち上げたきっかけは。

 

平野 UFOキャッチャーの景品などを扱う商社で知り合った中国人社長から声を掛けられました。現地で投資などを手掛けられていて「会社の運営を手伝ってほしい」と。好奇心は強い方なのですが、当時は結婚したばかりで躊躇(ちゅうちょ)しました。決心するまで1年以上かかりました。

 

木暮 取引先からヘッドハンティングされるほど、信用されていたわけですね。

 

平野 実はその会社と商売が成立したのは1~2回ほどしかなく、厳しいやりとりもありましたので誘われたのは意外でした。

 

木暮 中国語では、はっきりモノを言うスタイルだったのですか。

 

平野 台湾で生まれましたが、日本で小学校から高校卒業まで暮らしており、中国語は忘れていました。話せるようになったのは、米国で友人になった台湾出身の留学生たちに北京語を教えてもらってからです。中国語でも、そんなに無遠慮ではなかったと思いますよ。

 

木暮 中国人のような感覚はなかったわけですね。それでも転職を決めたのは?

 

平野 妻が上海出身だったいうこともあります。日本で知り合って結婚したのですが、家庭ではもっぱら中国語。当時の中国は目覚ましい発展を遂げつつあり、無視できない巨大市場になるとみられていました。コツコツとサラリーマンをやっていても先が見えているな、という野心もありました。

 

木暮 そこで上海企業に就職。

 

平野 ところが、転職先は4カ月で辞めてしまったのです。それまで私が日本で迷っている間に社内で混乱が起きており、着任したころには従業員をリストラするしかない手の打ちようがない状態になっていました。今なら、もう少しうまく調和ができたかもしれないのですが、私が身を引くことにしました。

 

木暮 帰国しなかったのですか。

 

平野 恥ずかしくて帰れません。その直後に子どもが生まれましたし。現地で知り合った顧客を横取りもできないので、3カ月ほど準備して自分の会社を立ち上げました。貿易ひと筋でやってきて、青島から広州一帯には生産工場のつてもあります。商社を起こすのが一番手っ取り早いと。

 

木暮 中国では外国人の法人設立は難しいと聞きます。

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平野 私の場合は、現地に戸籍がある妻の名義でできたのがよかったです。特に地元ですし。

 

木暮 日本人として現地で商売をされるのはいかがでしたか。

 

平野 中国商人はドライなので、新参者でも入っていきやすいという面はあるかもしれません。ただ深く入り込むには何年もかかります。中国語は妻の特訓を受けながら、上海の日本人社会にも一切入らず、現地の経営者らと交流を持ちました。決して衛生的とは言えないような場所にも行っていると、そのうち「変わった日本人がいる」という感じで、現地でも覚えてもらえるようになりました。

 

木暮 泥臭い作業ですね。

 

平野 中国の酒文化には驚くばかりです。中国は酒を酌み交わしあう「差しつ差されつ」が基本です。アルコール度数が高いことで有名な「白酒(パイチュウ)」が酒宴に出てくることもざらです。少なくともコップ一杯は飲むことになりますが、「郷に入っては郷に従え」だと覚悟して付き合いました。慣れるとおいしく感じるから不思議です。若い時は苦いとしか感じなかったビールのうまみが分かってくるようなものでしょうか。

 

木暮 いわゆる「飲みニケーション」ですね。日本に似ていますね。インドの場合、デリーなど北部では飲みに行けるようですが、海外拠点のある南インドはお酒を介した集まりはほぼ開きません。

 

平野 一緒に食事をするというのは、相手のことを知りたい、そういう場ですよね。

 

木暮 ビジネスに関して日本人との違いはどんなところでしょう。

 

平野 どちらも見た目は似ていますが、日本人の方が慎重。中国人は割合に何でも「できる、できる」と請け負いがちです。彼らの返事を信じすぎて痛い目を見ることもありますが、そうした心意気は分からなくもないんです。あれだけ大きな国ですから、どんなチャンスでもつかみたいからなのでしょう。

 

木暮 中国では、「うまくいかなかったら相手に悪い」などと思わないのですか。

 

平野 努力はしました、やるだけのことはやりましたよ、という考え方が多いです。

 

木暮 日本人が真面目すぎなのかも。

 

平野 とりあえず動いてみる、一歩を踏み出してみることが中国では大事です。日本はマーケットが中国に比べると狭く、何か失敗すると信用を失いやすい市場だと言えるかもしれません。一方で中国は市場の規模が大きく、仮に失敗しても関係者が少なく、風評が伝わるにも時間もかかります。取り返すチャンスもその分あるわけです。

 

木暮 目からウロコが落ちる思いです。システム開発の分野では、少しずつ微調整しながら開発する「アジャイル」という手法が注目されており、開発が安く早く済むというメリットがあります。作業途中のものを使ってみることをよしとしない日本では、こうした考え方はなかなか出ないですね。島国的な考え方なのでしょうか。

 

平野 ミスをしても再起できるという意味では、中国には包容力があるとも言えます。日本人は「他人に迷惑をかけない」ことを重視する教育を受けます。慎重にならざるを得ません。ビジネスは「やったもん勝ち」です。心配する気持ちは誰にもあります。失敗は大したことではないと思います。失敗するかどうかも行動してみないと分かりません。踏み出してから修正すればいいのに、と思います。

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木暮 私も「行け行けどんどん」のタイプです。

 

平野 中国は王朝支配の歴史が長く、皇帝を倒して自分がリーダーになりたいという人が多くなったのかもしれません。世界中にいる華僑には起業家が多いですしね。

 

木暮 ご自身は「皇帝」になれましたか。

 

平野 まだまだです。中国ではパートナーも重要で、私の場合は上海出身で中国語が話せる妻がそうです。また、パートナーが役所ともうまく立ち回ることも大事です。政府機関に書類を出しても「不備がある」としか告げられず突き返されることがしばしばあります。役所の権限は強大です。私の場合は直接乗り込んで、お土産を持って行ったり、世間話をしたりして積極的にコミュニケーションをとり、現地に深く入り込もうとしました。そのせいか、日本人の友達はほとんどいません。

 

木暮 それもしょうがない、と。

 

平野 中国で基盤を作ろうとしましたから、現地の人との付き合いだけで時間がなくなるんです。上海に渡って10年ぐらいは、帰国できたのは1年に1回あるかないか。毎晩飲むのは本当に大変なんですから。

 

木暮 上海では経済界での人脈も広いそうですね。日本人として現地の経済文化交流協会の副理事をされているとか。

 

平野 好奇心が強く、知らない人と会って「人間の勉強をしたい」という気持ちが強いだけですよ。

 

木暮 新しく人に会うと学ぶことは多いですよね。

 

平野 一緒に食事をすることから始まるのですが、そのうち相手からSNSで他愛ないメッセージをもらったり、「兄弟」と呼んでもらえたりするようになると、関係が深まったのを感じます。 中国人の友人からは親戚の集まりにまで招かれることがあるのですが、部外者の日本人がなぜ同席しているのか最後まで分からなかった人もいたかもしれませんね。(おわり) 

 

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