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グローバルのヒント

グローバル・コネクター

2021年7月8日

第36回「相手の価値観を包み込む」神原咲子さん

今回のゲストは、公衆衛生のエキスパートで東南アジアを中心としたフィールドワークや災害看護の分野で研究を続ける高知県立大学特任教授の神原咲子さんです。 

 

木暮 国内外でご活動ですね。

 

神原 学生の時から途上国の人を助けたいという思いや言語学にも興味がありましたが、当時は「手に職を」の意識が強く、看護の道を選びました。進学先の神戸では阪神・淡路大地震の被災現場の復興していく姿も目にしました。2004年スマトラ沖地震津波の被災地3カ国を対象に調査した際は、復旧のレベルや地域の人のとらえ方もそれぞれ違っていましたし、日本でも復興の度合いや価値観が場所によって違うことも分かり、「復興とは何なのか」を考えさせられました。もっと各地域の価値観に沿った健康や公衆衛生の支援が必要です。避難所の外では誰ともつながれていなかったり、災害時に配慮が必要とされる人のほとんどは、情報が得られない「情報弱者」です。そうした人たちに情報を多く提供することで公平性をいかに保障するかも重要です。災害時には福祉サービスが利用できない人が増え、そうした人をケアする人も疲弊してしまいます。悪循環です。日本では保健所の職員さんもそうです。現場で生きる看護職の役割を研究しています。 

 

木暮 カルチュラル・コンピタンシー(異文化への対応力)の重要性も説かれています。

 

神原 文部科学省は「博士課程教育リーディングプログラム」を創設して世界に通用するリーダーの養成を目指しています。日本のテクノロジーは大変優れているのですが、被災地の現場で導入するには高すぎるイメージがあり、特に医療の面では日本でしか取り入れられない。例えばネパール地震の際、看護の場で必要とされたのは地図を読む能力やカウンセリングの力でした。グローバルな観点でのリーズナブルな技術が必要です。

 

木暮 ITの現場でも似たような状況があるように感じます。活動はグローバルでありながら、ローカル(地元)の事情に配慮することや、新しい情報を当事者間でどのように共有させるかといった部分です。災害をきっかけに社会の縮図が現れますね。ところで、今の活動につながるような影響を与えたものがあったのですか。

 

神原 今の学生にはピンと来ないかもしれませんが、海外やテレビで見る東南アジアの人々の暮らしに興味が湧きました。もともと人道的な活動をしたいと考えていましたし、教えている看護の世界も人道援助と結びつきがあります。看護を学ぼうとする人の5~10%ぐらいが海外での活動を視野に入れているようです。 

 

 

フィリピンで活動する神原さん(左から2人目)=本人提供 

 

木暮 意外と多いですね。 

 

神原 そうですね。

 

木暮 初めての海外は? 

 

神原 インドネシアの首都ジャカルタからバックパッカーをしながらジャワ島を横断しました。経済成長前でしたから開発前でスラムだったエリアも見ました。ジャカルタからの移動中にうたた寝から目覚めると、郊外にはびっくりするような田園風景が広がっていたのが印象的です。バリではジャワ島との文化の違いに驚きました。食べ物もおいしいですし。ただ、一緒にいた友人は赤痢(せきり)にかかり、帰国後に隔離されていました。ガイドブックの警告を軽視して氷と生野菜を口にしていたみたいです。

 

木暮 初めの印象は大事ですからね。看護という専門性にとっても「異文化」に興味が湧いたことが大きかったのかもしれないですね。

 

神原 震災後のとある教会で在留外国人の健康相談のボランティアをしたのですが、「1日3回食後に薬を飲めと指示があって困る。毎日2回しか食事をとらないのに」と言われました。生活習慣病対策として米国流のヨガやエクササイズを勧めても日本の高齢者にはピンときませんし、インドネシアで運動の有用性を説いても「ウオーキング?毎日働き歩いているよ」と返されるだけです。同じ処方せんや予防策ではうまくいきません。病気の自覚症状を重視しなかったり「健康」に対する考え方も違っていたりする。とはいえ、実際に健康を害するまで放置されるとそれは見過ごせませんし。 

 

木暮 各地で「常識」も違いますからね。

 

神原 そうなんです。患者によっては相手の文化も違うことを看護では理解しなければいけません。妊婦が体重を増やしすぎることは今の常識ではハイリスク。健康を守るためにそれぞれが大事にしていることは本当に多様です。

 

木暮 現場で相手に行動を促すのは難しいでしょう?

 

神原 やはり無視されますよね。それは社会の課題とも言えますし、ケアのしどころ。いろいろな思惑があって、すっぽかされているのかもしれません。現実的なのは、被災した地元の中で看護や支援できる人が動けるようにすることです。個人的には途上国で支援がしたいという動機があったわけですが、今は現地の看護師教育に力を入れています。最後は家族がケアを担っているように信頼関係が大事です。信頼が置けて言葉の通じる人にお世話をお願いするのが理にかなっていますよね。

 

木暮 ケアの分野では現場が大事ということですと、つながり方も変わるんでしょうね。自分が現地に赴くだけでは解決しないでしょうし。それで男女平等といった多岐にわたる政府事業に参加して働き掛けながら、全体の仕組みを変えようとされているんですね。

 

神原 法律では「看護」と「救護」はそれぞれ別の概念として定められています。診療補助である「CURE(キュア)」とこれまで家族の仕事とされてきた療養上の世話「 CARE(ケア)」を統合したのが看護です。育児と介護に代表されるケアが看護職の仕事になっていない国もあり、女性が家族のために無償で行うことが当たり前だという考えが問題です。コロナ禍で医療ひっ迫が起きていると言われていますが。問題はウイルスではなく、入院する方が既に多くの疾患などから多様なケアニーズを持っていて、看護師が少人数で分担せざるを得ず仕事量が増大していることなんです。それは地域の現場も同じ。女性の仕事とされて24時間態勢でも追いつかない。行政の補助もありません。コロナ禍で頑張っている看護師への補助もなく、ボーナスが減らされたりすることは全く理解できません。看護師の仕事が「価値化」も「可視化」もされていないのが課題です。 

 

グローバルヘルスの模擬授業をする神原さん=本人提供 

 

木暮 私の仕事と似ている部分がどんどん見えてきます。ITの現場でも最新システムの導入だけではうまくいかない。特に海外ではプロジェクトマネジャーが「ケア」の部分を担えるコミュニケーターとして現場で考え、相手を理解する必要があります。丁寧なコミュニケーションは時間も労力もかかりますし、マインドセット(考え方)が違う人が現場に行っても進まない。

 

神原 お金(予算)も付かないですしね。タスク(仕事)を指標化しづらい。積極的に取り組まないといけません。人繰りで済むような話でもないわけです。今あるもので何とかしようとすると、人はロボットではないですから。その人の能力や家族の力も違いますし、コミュニティーの助けも必要です。バラバラになっている力を総力戦でやる。今ある資源を使って対応しましょうという考え方です。災害時、特に途上国はそうでないとやっていけません。

 

木暮 同感です。現実は専任でやる仕事ばかりではありません。適材がそろうわけではないし、人員の空き状況といった事情もある。与えられた陣容でやるしかないのですが、その人たちには気持ちよく働いてもらいたいから、その場で知恵も絞る。100%満足できる作業環境はなかなか無いわけですものね。災害時こそフレキシブルに、ですよね。

 

神原 災害ともいえる新型コロナウイルスの感染では、情報格差の広がりが目立ちます。インターネットにつながっていない人は「無かったこと」にされています。オンライン授業は便利ですが、使える人が便利になるだけ。DX(デジタルトランスフォーメーション)は進んでいくでしょうが、多様な人へのサービスが必要。よりパーソナルなケアの機会も増えるでしょう。ただし、イノベーションで利便性を享受できる人が健康になる一方で、使えない人は不健康になってしまう社会が来る恐れもあります。オンライン検診を勧めているものの、アプリが準備できない診療科もあるので「やっぱりスマホは難しい」とあきらめる高齢者もいる。そうした人には「IT駆け込み寺」や「デジタル保健室」のような取り組みで対応します。状況を開発者に相談しても「使える人だけ使えばよい」と他人事のような態度が見え隠れする。そうした姿勢だと医療費を減らしたい小さな自治体にとっては迷惑でしかありません。これが世界規模で進んでしまうと「誰も取りこぼさない社会」とは何なのかあらためて考えさせられますよね。(おわり) 

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