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グローバルのヒント

グローバル・コネクター

2022年2月3日

第51回「要望の背景も話す」堀田卓哉さん

今回のゲストは伝統工芸や日本文化の発信を手掛ける企業「Culture Generation Japan(カルチャージェネレーション・ジャパン)」で代表を務める実業家の堀田卓哉さんです。(写真はいずれも本人提供) 

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木暮 家業がおもちゃ屋さんだったとか。

 

堀田 子どもの頃から玩具に囲まれて暮らしていました。読書が好きだったので小学生の頃は読みたい本があると近所の本屋さんにツケ払いで読ませてもらっていました。両親には今でも感謝しています。10代前半で阪神・淡路大震災や大手証券会社の経営破綻などが起こり、日本にいることに不安を覚え、米国の大学へ留学したいと思うようになりました。

 

木暮 僕は坂本龍馬のような大きな心を持ちたいと米南部テキサス州のハイスクールに留学しました。

 

 堀田 大学まで上がれる一貫校に通っていたので、両親は猛反対。結局、そのまま日本で内部進学しましたが、1年生のときにカナダへ短期留学できました。現地では自分が「キラキラ」しているように感じ、いったん帰国して資金を貯めてから、大学を休学して米サンフランシスコの公立大学で1年近く学びました。

 

木暮 海外生活で日本の文化を感じる場面があったとか。

 

堀田 帰国前に中南米をめぐり、メキシコでは日本人がいないような場所にも行きました。当時は日本のアニメーション「ドラゴンボール」が現地でも大人気。子どもたちはこちらが日本人だと分かると主人公の必殺技「かめはめ波」のポーズを見せてくるんです。アニメの浸透力に驚かされたのと同時に、日本人で良かったなと海外に出て初めて思いました。アイデンティティが芽生えつつあった時期と重なり、これからは日本文化を世に伝えていくことが必要なのでは、と感じたのも今の仕事に影響しています。

 

木暮 帰国してフランスの会社に。

 

堀田 就職活動をなめていました。就職氷河期でクラスメートが血眼になって応募書類を用意している横で私は「エントリーシートって何?」。英語が話せるし、どこかに入れるだろうと高をくくっていたのですが、応募した60社は全て不採用。最終的に親のコネで就職しました。会社としても初の新卒採用だったらしく、入社の翌日に上司のフランス人から「出張に行こう」と声を掛けられ、長崎まで同行したのですが、事前準備も打ち合わせもなし。当日は会議の内容が全く分からず、眠気をこらえるのに必死で。

 

木暮 行動力はあった?

 

堀田 新人教育のようなものはなく、「とにかくやれ」という感じですが、日本企業の新卒社員では体験できないようなこともさせてもらいました。文化の違いを含めて人と人の間に入る立場の難しさを学び、バランス感覚も身に着きました。人はみな違いますし、批判しても仕方がない。取引相手は仏企業なのですが、販売先である日本のお客さまからは「品質が足りない」とかいろいろ言われます。フランス側に対応を促すと「明日からバカンスだから、回答は1カ月後だね」と平気で言うわけです。

 

木暮 どうしました?

 

堀田 少しずつ教育していきました。日本企業では当たり前ですが、「バカンスの前に代わりの人へ引き継いでおいてね」とか。話をつけるためにフランスまで出向いたこともありました。

 

木暮 現地で直接交渉とは並の新卒にはできません。

 

堀田 米国で1人暮らしをした経験が生きているのかもしれないですね。フランス人は人間関係をとても大事にする人たちです。彼らも「そこまでタクヤがやるなら俺も」という感じで、いったん信頼関係ができるとかなり義理堅いんです。

 

木暮 信頼関係はどうやって?

 

堀田 日本の要望をそのまま伝えるのもいいのですが、背景を踏まえてフランス側には話すようにしています。「この要望ではNOしか返ってこないな」と事前に分かる場合は妥協点を見つけて「丸めて投げる」。そうするとフランス側も「こちらの事情を分かってくれるんだな」と信頼してくれる。

 

木暮 背景を伝えると理解も得られやすい。相手側の感覚が分からないと優先順も付けられないですからね。誰にも教わらずにできたのですか。

 

堀田 先輩がすごくいい人たちで「見て学べ」という感じで。

 

木暮 その後、日本のコンサルティング会社へ転職。

 

堀田 フランス人との給与格差などいろいろと思うところがあって。資格を取ってキャリアアップしようと思い、機会損失や生活費のことも考え1年でMBA(経営学修士)を修了できる欧州のモナコに留学しました。帰国して就職活動する中で、立ち上げたばかりでやりがいのありそうだったコンサル会社に決めました。そこに5年間ほど在籍しました。 

聞きすぎない 

 

木暮 独立されて今の仕事に。

 

堀田 コンサル時代はリーマンショック以降、企業再建の仕事が増えました。相手側は当初「助けてくれるのでは?」と期待するのですが、時には赤字を止めるために給与を削減したり、レイオフ(一時解雇)したりすることもある。彼らの期待は失望に変わっていくわけです。仕事ですから嫌だとは言えませんが「社会が少しでも良くなっているという実感が持てる職業があるのでは」と思い始めました。そのころ、地元・浅草の三社祭に参加するために青年部に入り、誰かが下働きをすることで日本の祭りや文化がつながれていることを知ったのです。ちょうちん作りを手掛ける友人から「世界市場で勝負がしたい」と持ち掛けられ、「日本の文化を次世代に伝えていくことが自分たちの仕事」と言い切れる彼らのようなキラキラした人たちと関わりたいと思うようになりました。ビジネスの経験を生かして一緒にやれたら事業の幅が広がるかも、という甘い期待もあって独立してしまったんです。少し気が変になっていたのかと思うくらいですが、何も怖くなかった。いま思えば本当によくやれたなと。

 

木暮 僕もITをあまり知らずに業界に飛び込みましたから、感覚は分かります。どのようにビジネスに発展させたのですか。

 

堀田 人生で初めていろんな方に「デザイナーと伝統工芸の職人をマッチングして新商品を作りたい」と営業する中で、台東区の創業支援施設「デザイナーズビレッジ」の代表者である鈴木淳さんを紹介されました。当時、鈴木さんは若手デザイナーと職人による東京都美術館のグッズ開発事業に関わっておられた。僕と会う3日前にアシスタントが辞めていたらしく「良さそうなのが来た!」となったようです。アートディレクターが欧州留学時代の学友のお兄さんだったという偶然も重なり、「これは運命だ」という感じで話が進みました。当時は「伝統工芸」や「地方創生」の分野に若手が少なかったので行政からも注目され、次第に声が掛かるようになりました。 


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イベントで日本の伝統文化について語る堀田さん

 

木暮 それまでの蓄積は必然だったのかも。

 

堀田 毎日夢中です。その後は、知り合いになった職人さんから「欧州市場に進出する手伝いをしてほしい」と誘われました。そうしたプロジェクトで実績を積んだことで、いろいろな行政機関に「面的な支援をしませんか」と提案できるようになり、徐々にプロジェクトの規模が大きくなっていきました。

 

木暮 職人さんとの協業はどうでしたか。

 

堀田 気難しい方もいますが、特にトラブルはなく、コミュニケーションに関して困ったことはありません。おそらくフランス人と日本人の間でバランスをとって仕事をした経験があったからだと思います。当事者の間に立って、お互いにうまくやるというのは今も変わっていません。職人とデザイナー、職人とマーケット。そこをつなぐ。

 

木暮 つなぐ秘訣は?

 

堀田 話を聞き過ぎないこと。職人さんはマーケットを完全に知っているわけではありません。ものづくりに関しては100%同意するけれども、マーケットに合わせて売るという時には「ご意見は分かります。ただ、こちらのほうが良いと思います」と伝えます。

 

木暮 プロとしての意見が受け入れられるというのは、信頼を得ているからでしょうね。

 

堀田 家業を継がせるかどうかで職人さんたちは悩まれています。ただ、先祖代々受け継いできた方たちですから、本音は「続けてほしい」。そこに私も一緒に加わることで「これなら希望が見えるかも」と彼らも考えが変わり、お子さんが加わったプロジェクトができる。そういう時に日本の伝統を次世代につなげる貢献ができたのかなと思います。

 

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ガラス工芸品の工房

 

木暮 販路を広げながら次の世代に。壮大な話ですね。今後やっていきたいことは? 

 

堀田 自社ブランドの確立を進めています。問い合わせが増えている和食器のサブスクリプションサービス「CRAFTAL(クラフタル)」がその代表例です。海外から産地に足を運んでもらうツアーを19年から立ち上げました。産地から遠くなればなるほど、良さを伝えるのは難しくなるんです。もっと工房に来て空気感を味わってほしいですね。(おわり) 

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堀田卓哉さんについては当社のFacebookでもご紹介しております。ぜひご覧ください。

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