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グローバルのヒント

グローバル・コネクター

2022年9月22日

第65回「多少の自信と歯切れの良さと」島原智子さん

さまざまな分野で活躍する方にお話をうかがうインタビュー「グローバル・コネクター®」。今回のゲストはシステムサポートやITの知識を生かして地元で起業。現在はウェブサイト制作やキャラクターデザインなどを手掛ける「カラフルブリック」を経営する島原智子さんです。

フジサンケイ・イノベーションズアイでも好評連載中です。

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木暮 高校生のときにスウェーデンを訪問されたそうですね。

 

島原 はい、高校1年生の時です。もともとは「何をしたい」などの意思はあまり持っていない性格で、小学生の頃から決められた流れの中で受験のための勉強漬けの日々を送っていました。無事、志望する中学校に入れたのですが、入学すること自体を目標にしていたため「アイデンティティ・クライシス(目標喪失)」の状況に。そんな折に、ふとガールスカウトの活動を見かけ「あの水色の服を着た子たちは何?あれをやってみたい」と母に自分の意思を伝えて入団したのが、きっかけでした。高校在学中、ガールスカウト日本連盟の海外派遣隊として渡欧することに。スウェーデンへは全国から10名の隊員と2名のリーダーが派遣されたのですが、飛行機から見下ろしたスウェーデンの町並みに衝撃を受けたことを覚えています。眼下には水平線まで森一面の世界。その中にブロック玩具の「レゴ」で作ったような家が点在する風景が広がっていました。テーマパークか施設だと思っていたら、すべてリアルな住宅。赤や青、黄といった原色が大胆に使われていて、見たことのない美しさに目を奪われました。

 

木暮 滞在はどうでしたか。

 

島原 約3週間の滞在は広大な緑豊かな土地での国際交流キャンプとホームステイで構成されていました。キャンプでは現地や各国から派遣されてきた同年代の子たちと交流したのですが、海外の隊員たちは日本人隊員と比べて驚くほど自由。キャンプには自由に食べていい青りんごが用意されていたのですが、海外の隊員たちは食べ終わったらポイ捨て!確かに自然には還るんですけどね。日本人の私には「ゴミはゴミ箱へ」が当たり前。ただ、自然に還るそのやり方はそこでは「悪いこと」ではなかった。同じガールスカウト、同じ年代の子たち、同じ場所に一緒にいる中でこんなに行動や考え方に差があるのかと。現地の暮らし、自然や白夜の中での過ごし方のほか、人の考え方などに触れたことはカルチャーショックの連続でした。

 

木暮 僕も高校の時に米国へ留学して、周りが自家用車で通学していて驚きました。同級生がスピード違反で警官に切符を切られるのを見ながら、自由には責任も伴うなと。多感な時期にスウェーデンを知ったことで、考え方にも影響を与えたそうですね。

 

島原 それまでは真面目でおとなしく、引っ込み思案な性格でした。しかし言葉が分からない現地では英語で意思を伝えないと何も始まらない状況です。引っ込み思案な性格を一旦どこかに置いておいて、とにかく単語でもいいから発信したり、何かを伝えないといけない。自分の言葉に責任を持ってちゃんと主張しないといけない、ということを体感できた気がします。

 

木暮 日本でスウェーデン語が勉強できる大学へ。

 

島原 スウェーデンに強く引かれたのも理由ですが、交流した中に理想的な「イケメン君」がいまして。言葉を覚えて話せるようになりたいという動機もありました。高校生の動機なんてそんなものですよね。スウェーデン滞在を経て何かが変わった私は強い意思を持つようになり、スウェーデン語や文化が勉強できる大学への進学を希望しました。人前に立って発信することに憧れるようになり、大学推薦枠の獲得を目指すのも狙いではありましたが、生徒会長に立候補して当選。それまでは何の委員の経験もなく、おとなしい性格だったのに、今でも当時の度胸にわれながら感心します。大学時代には海外研修で再びスウェーデンに行くこともできました。現地では言語以外に、スウェーデン社会も勉強しました。海外で孤児になってしまった子どもを養子として引き取る家庭も珍しくなく、アジアやアフリカにルーツを持つスウェーデン人が多いという、勉学だけでは分からないことや、自然との共生などを学びました。そんな滞在中の思い出を記録しておこうとインターネットが普及し始めた頃、自前でホームページを立ち上げました。

 

木暮 言語から世界が広がる感覚ですね。僕の場合はとにかく英語で質問して会話を始める。ただ、最初は英語力がないから答えが聞き取れないんですけどね。海外の人との付き合い方で意識していることはありますか。

 

島原 目を見て話す。大げさでもいいから自信があるふりをする。英語で伝える場合は、拙いながらもはっきり言うようになりました。振り返ると、日本語でも口調が強くなっていたのかもしれないですが、歯切れよくぽんっと発言できるようになった気はします。言い方が強すぎて、けんかも増えるんですけどね。

 

木暮 ご家庭の事情もあって若くして起業されたそうですね。

 

島原 卒業後は地元で就職した後、ホームページ作成の経験やパソコン好きが高じてシステム開発会社に入り、エンジニアに転身します。ちょうどその頃、リーマンショックで傾いた家業の一部を事業譲渡するための会社を立ち上げてほしいと父に頼まれ、在籍していた会社の社内制度を使って独立して会社を起こしたものの、残念ながら家業は精算することになりました。設立したばかりの会社だけが残り「とにかくやれることを」と、ホームページ作成を請け負う企業として出発しました。つてもない中、同業他社にあいさつ回りをするうちに異業種交流会の存在を知り、徐々に口コミで顧客を紹介してもらえるようになりました。翌年には縁あって広島県の中小企業家同友会に入れました。若手だったこともあってか、周りの先輩方からいろいろと面倒を見ていただき、経営者としての心得をたくさん教わりました。とにかく会社を作っただけの私が経営に関してどんなことでも質問できる環境に巡り合えたのはよかったです。

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木暮 素晴らしい「ご縁」だったんですね。

 

島原 同友会の活動をしているうちに、たくさんのご縁ができ、会員のつながりからも仕事を紹介してもらえるようになりました。会社は順風満帆とまでは言えず「何とか生き延びている」ことは間違いないですが、ここまで来られたことは、ご紹介とご縁があってこそ。流れに任せて起業した経緯もありましたが、今は頑張って、事業を生き延びさせたいし、たとえ事業が失敗したとしても皿洗いから始めてもう一度会社を作って頑張ろうと思っています。

 

学んだら教える

木暮 人材育成にも力を入れていらっしゃるそうですね。

 

島原 就職氷河期や経営統合、リーマンショックなどの巡り合わせもあり、不安定で何度も転職を余儀なくされる環境でした。また雇用が絞られていたので部下はおらず、育てることもできませんでした。その反動からか「人を育てたい」という思いがすごく強くあるんです。会社を運営する中でもその思いがあり、会社として人を育てていこうという目標になりました。これまでの環境や出会いの中でたくさんの方に育てていただいたという思いも背景にあるかもしれないです。

 

木暮 会社のメンバーには何を伝えていますか。

 

島原 「生きていくためのスキル」です。リーマンショックでは職を失ったり、会社が無くなったり、家業が傾いていく状況も見ていました。自分と関わってくれた仲間にはノウハウや技術を身に付け、独立できるレベルに達してほしい。また、彼らには「大変なときには一緒にやれたらいいし、戻ってきてもいい」と伝えています。これは前職で「失敗しても帰ってくればいい。自由にやってみたら」と独立を後押ししてもらった影響が大きかったかもしれません。
 

木暮 創業当初から社員教育に熱心に取り組んでおられて感銘を受けました。

 

島原 教育として取り組むほどではないかもしれませんが、信念のようなものです。「生きていくためのスキル」を伝えるのは何らかの使命のような気がしています。言葉が強いからか、いろいろな人生相談を受ける機会が多いんです。その中から一緒にやっていける人や支援したい人が出てくることもよくあり、自分の持っているものは全て伝えたいし「手伝いたい」「頑張れ!」となってしまいます。それが教育としてつながっていくのかもしれませんね。

 

木暮 その人が「話してみてよかった」と思っていることが重要なんですよね。

 

島原 そうですね。話を聞くだけで十分だったということは往々にしてあります。悩みを聞くと頭の中にフローチャートが浮かんで、解決や遠回りのルートがパッと見える特技がありまして。そこで浮かんだ自分なりの回答やその人にとって必要だと思える情報を伝える。あとは本人の実現力ですね。

 

木暮 人材育成に並々ならぬエネルギーを感じています。どれだけ相手のことを思って誠実に対応できるか、が周りに影響するのでしょうね。

 

島原 相手のことは必死で考えています。何かあったとしても社員は叱らないようにしています。達成した部分を評価した上で、頑張りたいと思えるように改善できる部分を指摘する。「なんでできないの?」と思うより、最後まで明確に指示した方が成果を出しやすい人も多い。人に合わせて伝えることを徹底すれば、スピードも早く効率がよくなることを学びました。

 

木暮 いろいろな資格をお持ちですね。

 

島原 資格を勉強することによって、別の仕事につなげられる可能性が出ると思っていますし、自分に足りないものが補えることにもなります。知識が増える中で「資格が取れたらラッキー」という考えです。人を育てたいというのも理由のひとつです。知識と手法を学んでから自分で解釈し、人に伝えるところまでをセットとして考える。人を育てるのがやっぱり好きなんですね。

 

木暮 新しい事業構想もあるとか。

 

島原  無くしにくい付せんの商品化といったモノづくりや、飼い主と生き別れた動物の新しい住まい作りやペット霊園の経営のような事業にも興味があって。これから10年後にかなえられるといいですね。(おわり)

 

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島原智子さんについては当社のFacebookでもご紹介しております。ぜひご覧ください。